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1つのボトルが魔法びん業界に大変革をもたらす

「不景気」「失われた20年」といった言葉が使われて久しい。
しかしそのなかで、10年ほど前からずっと「右肩上がり」を続けている業界がある。

それは「魔法びん」だ。

国内の出荷数は毎年のように増え続け、市場規模は拡大の一途をたどっている。
節約志向や健康志向などによって「マイボトル」「マイカップ」をもつようになったことが原因ともいわれるが、その火付け役となった企業が存在する。

サーモス株式会社である。

サーモスは画期的な商品を開発し、急成長を遂げ、かつて3位だった魔法びんのシェアでトップに躍り出た。
サーモスはなぜ躍進し続けることができるのか。
取材から見えてきたものは、サーモスの「2つの力」だった。

一家に1台」だった魔法びん

サーモス。
その起源は100年以上前に遡る。1900年代初頭、ガラス製の真空ボトルを保護用の金属ケースで被せた、いわゆる魔法びんがドイツで考案された。サーモスは、この魔法びんを考案した人物が設立した会社である。優れた保温力を持つ魔法びんは、たちまち世界に広がった。1989年、魔法びんをつくっていた日本酸素株式会社がサーモスを買収して「サーモス事業部」とし、2001年に分社化し現在の社名となる。

サーモスは日本酸素時代から数々の画期的な商品を送り出している。代表的なのが1978年の「ステンレス魔法びん」。それまで魔法びんといえば「ガラス製」だったが、落とすと割れてしまうことや重いことなどが欠点だった。ステンレス製は割れないだけでなく軽さも備えており、魔法びんは一気に「ステンレス製時代」へと突入していく。

1988年には、当時宇宙開発やジェット機などでしか使われていなかった「チタン」を使った魔法びんを発売。丈夫さと軽さを備えた魔法びんは、装備品を1グラムでも軽くしたい登山家や冒険家に圧倒的な支持を得る。

そして1989年には「シャトルシェフ」という、余熱を利用して調理ができる魔法びん構造の鍋を業界で初めて開発。「余熱で調理」という発想そのものが初めてのことで発売当初はなかなか広まらなかったが、徐々に口コミで広がり、今では累計360万台におよぶロングセラーとなっている。

しかし、魔法びん市場は成熟市場の1つとして、大きな変化に乏しい時代がずっと続いていた。

サーモス株式会社開発部の松山真氏は言う。
「魔法びんは遠足や運動会などにもっていく『行事用』と認識され、我々もそのような使い方しか想定していませんでした。そのため、魔法びんは一家に一台しかないのがふつうで、使用頻度も決して高くなかったと思います」
当時、サーモスは魔法びん業界において後塵を拝し、決して満足できる状況ではなかった。
1998年、1つの商品の登場が、流れを変える。

“直接口をつけて飲む”という発想

きっかけは、アメリカの駐在員から送られてきた1枚ファックスだった。
「アメリカでは当時からペットボトルを持ち歩いて飲んでいました。この習慣に合った魔法びんがつくれないだろうかと、ラフスケッチが送られてきたのです。日本では今でこそペットボトルを持ち歩いて飲むようになりましたが、当時は500mlのペットボトルもあまり普及しておらず実験的な試みでした」

それまでの魔法びんはコップが付いており、コップに注いで飲む方法しか選択肢がなかった。それを“直接口をつけて飲む”というスタイルの魔法びんを開発することにしたのだ。

「熱いものを入れると火傷をして危険なため、シールなどを貼って『保冷専用』であることを大きく謳いました。当初は直径1cm強の円筒状の飲み口にキャップが付いていて、それを手で引き上げて口をつけて飲むというスタイルでした」

1998年、発売。
しかし当初はあまりふるわなかった。初年度の販売本数は1万本。斬新すぎるスタイルはユーザに受け入れられたとは言い難かった。2年目も大きな変化はない。ところが、2000年ごろから販売店から型番指名で注文が入るようになる。

「少年サッカーをはじめとするスポーツ時の水分補給の重要性が浸透していったことや、500mlのペットボトルが普及するようになり持ち歩いて直接口をつけて飲むスタイルが定着していったことが幸いしました。少年サッカーや野球などでの利用が多く、小学生の間で口コミで広がっていきました」

さらにOLやサラリーマン向けに、スポーツボトルより容量の少ない「ケータイマグ」も発売。同じように口をつけて飲むタイプだが、これも少しずつ支持を得ていく。

そしてサーモスは、もう1つのことにも力を入れていく。

ユーザの声をひろい改善、また改善

サーモスが取り組んだこと、それは「徹底的な改良」だった。
「スポーツボトルでは、飲みやすい量がでてくるように、注ぎ口の大きさや飲み口の角度などを工夫しています。また洗浄しやすいほうが衛生的にもすぐれているので、ケータイマグではキャップ部分を分解できるようにしています」

さらに改良は多くおこなわれている。軽量化を図るために、ボトルの底に付いていた底カバーをなくしたり、またボトル内の内筒の厚みを0.1mm以下と極薄にしたりと、同じ容量でありながら20~30%も軽量化を図るなどしている。

「うちの商品『ケータイマグ』は軽さに自信があるので、『軽量コンパクト170g』などと、重量を大きく表示しています」
注目すべきは、こうした改良の多くが「ユーザの声」を拾い上げることで行われていることだ。
丸山氏は語る。
「運動会やサッカー教室などによく足を運びます。我々開発部だけでなく、マーケティング部の社員も足を運び、どのように使われているのかを観察したり、何か不満がないか話を聞いています。またどの商品も、発売前に必ず試作モデルをもっていき意見を聞いて回っています」

こうして、現場から「要望」や「不満」を吸い上げて商品を次々とブラッシュアップしていく。それがまた支持を得るようになっていた。
だが、他社も黙っていない。最初こそ静観していたもののすぐに追随してきていたのだ。
2006年1月、サーモスはさらなる手を打つ。

実際に触って確認したい

2000年、サーモスは一度3D CADを導入していたが、依然として大部分の業務を2D CADで行っていた。
「設計段階で何度も検証して2D CADで修正していくという状況でした。金型業者が2Dの図面から3Dデータにしてくれる際も、結局は開発部で間違いがないか確認しなければいけない。とにかく時間と手間がかかっていました。開発のスピードが求められるなかで致命的なことでした」

写真左が3Dプリンターで造形したサンプルボトルのキャップ部分を分解できる

2006年1月、サーモスは決断する。新たな3D CADソフトを導入し、同時に3Dプリンター「Dimension(ディメンジョン)」も購入したのだ。
「試作モデルは外部に委託していましたが、もっとも早くて3日はかかってしまう。さらに、外注するとコストがかかるので、試作したくてもできないケースも多い、というジレンマを抱えていました。3Dプリンターは小さな部品であれば数時間で造形可能で、気軽にプリントできる。そこで3Dプリンターも導入することにしました」
3Dプリンターは導入後、あっという間にフル稼働となる。ついには1台だけでは回し切れなくなり、2年4ヶ月後の2008年5月には2台目も導入する。なぜこれほどまでに3Dプリンターは使われたのだろうか。

それは、一緒に開発に携わるマーケティング部に“思い”があるからだという。
『実際に触って確認したい』
「開発部はだいたい頭の中でイメージできますが、設計に直接携わらない人には画面だけでは実感が湧きにくく問題点も見えにくい。とくに当社の商品は手で何度も触られるものばかりなので試作モデルの重要性が非常に高いのです」
1つの部品をつくる際、サーモスでは3Dプリンターで候補となる何種類もの部品を造形し、1つひとつ実際に組み付けて確認していく。それを何度何度も繰り返し、OKと判断したもののみを商品に採用していくという。

「部品同士がきちんと噛み合った状態で、組み付け操作の確認ができるので助かっています」 高い強度を持つABS樹脂を造形材料に用いるDimensionならではの使い方だ。 

「ボツになるアイデアは数知れません。しかし、数多くの候補のなかから厳選されたもののみを取り入れることで、結果的にクオリティの高い商品になっていくのです」
3Dプリンターを導入したことによって3D CADの利用価値が高まり、設計業務の三次元化が加速したという。

消費者に選ばれるサーモス

578万本、710万本、1,079万本。 
これは2003年、2006年、2009年の携帯用魔法びんの出荷数(全国魔法瓶工業組合調べ)の推移だ。2003年以降、出荷数は対前年比でずっとプラスを記録し、わずか6年の間に2倍近くも市場が膨らんでいる計算だ。
サーモスの商品も毎年のようにその数を増やしている。

サーモス創生期のガラス製魔法びん(1904年~1910年頃の製品)

スポーツチーム用などの「ジャグ」、大量のお湯を入れる「ステンレスポット」や「ティーポット」、お弁当を入れる「ランチボックス」「ランチジャー」、オフィスに欠かせない「コーヒーメーカー」、購入した食材などを熱から守る「ソフトクーラー」「ショッピングバッグ」など、100種類以上もの商品がある。

1年目にわずか1万本だったスポーツボトルは今では他社を含めて年間400万本の市場となった。サーモスでもスポーツボトルだけで年200万本程度売れるまでに成長し、ケータイマグも同様に年200万本以上も売れる商品に育っているという。
「一家に1台」から「1人1本」へ。
魔法びんの大転換のきっかけをつくったサーモス。

新しいスタイルを提案する「独創力」とユーザの声から使い勝手の良い製品を追い求める「改善力」が、多くの消費者から支持されつづけている理由に感じられた。

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