1人、また1人。
そしてまた1人──。
お腹が大きい女性や、小さい赤ちゃんを連れたお母さんが、ひっきりなしにエントランスへと入っていく。大阪市阿倍野区にある西川医院。
1950年の開院以来、地域から長く愛され続ける産婦人科医院で、今では近隣だけでなく遠方からわざわざ足を運ぶお母さんも多い。この医院で、1978年から2代目として数々の出産に立ち会ってきたのが西川正博院長だ。
「産婦人科は命の誕生の瞬間に立ち会う場所です。だからこそ、お母さんたちにしてあげたいことがありました」
新しい命、そしてお母さん。
その2つを見つめ続けてきた、西川院長の声に耳を傾けた。
妊婦さんには、笑顔で家に戻ってほしい
「ずいぶん大きくなったねぇ」
「あれ、赤ちゃんがあくびしてるよ」
妊婦に行うエコー検査は、基本的には胎児や妊婦の異常を発見し、早期に治療に結びつけるために行われるものである。しかし西川院長はそれだけでは終わらず、いつも赤ちゃんの表情やちょっとした動きに注目する。そのため、健診時間はどうしても長くなりがちだという。
大阪環状線の寺田町駅から徒歩5分の住宅街に西川医院はある。毎年約900人もの赤ちゃんが誕生しており、それは1日に約2.5人が生まれている計算だ。「母も娘も西川医院」という世代を超えた出産も多い。
「最初すごく小さかった赤ちゃんが、だんだん大きくなっていろいろな表情をするようになる。そうした表情を一緒に見ていくことで、お母さんたちと感動をともにしながら健診できるようになりました」
エコーが普及する前は、妊婦のお腹の中を映像で見ることはできなかった。一般診察のほか、お腹の大きさを測定したり、胎児の心拍数を計測したり、さらに、触診法によって逆子でないかどうかの確認などを行っていた。また、尿や血液中の特定の成分を調べることで、妊娠高血圧症候群や切迫早産の危険性がないかを判断していた。いずれにせよ、お腹の中は決して見ることのできないものだったのだ。
だが、エコー診療の保険導入などによって1970年代から大規模病院を中心にエコーが少しずつ普及し始め、1990年ごろにはほぼすべての産婦人科に導入されるようになった。これにより、今まで見ることのできなかったお腹の中の赤ちゃんの様子がわかるようになる。
「1990年くらいから3Dのエコーが出てきて、赤ちゃんが立体的に見えるようになりました。出産には夢や希望があります。その一方で大きな不安と恐怖感もある。お腹の中の赤ちゃんを見ながら励ますことができるようになって、健診が楽しいものになりました。妊婦さんには、笑顔でニコニコしながら帰ってほしいのです」 その理由を西川院長はこう語る。
「出産は命がけですから──」
命がけで出産するお母さんに寄り添いたい
西川院長によると、妊産婦の250人に1人は命の危険にさらされているという。
国立社会保障・人口問題研究所のデータを見ると、その言葉の意味がよくわかる。日本で最初に統計がとられた1899年は、出産10万件あたりなんと409.8人が死亡していたという。年間の死亡者数は6,240人にも達し、約220名に1人、1日平均にすると約17人もの妊産婦が亡くなっていた。
以後、医療技術の進歩により死亡率は少しずつ減っていったものの、1962年でも妊産婦10万人あたり100人ほどが亡くなっており、その後さらなる医療の進歩によって今では10万人あたり3人ほどとなったが、人数にすると今でも年に約50人、1週間に約1人が亡くなっている。亡くなる妊産婦は少なくなったとはいえ、そのリスクは今も昔もかわりない。
「私は、お母さんにとって出産が本当に大変で命がけであることを、よく知っています。ですから、そのお母さんに寄り添ってあげたいと思っているだけなのです。陣痛が始まれば寄り添ってあげたいですし、痛みがあれば痛みをとってあげたい。妊娠が始まれば初期から励ましてあげたいのです」
「妊娠したり、出産したりすると、今までできたこともできなくなり、生活が大きく変わってしまいます。もちろんやりたいこともできなくなってしまいます。そのように苦労しているお母さんたちが、少しでも心から喜んで感動してくれることをしてあげたいと、ずっと考えていました」
お母さんと子どもに感動を届けたい
ふつう、病院食というと比較的質素なものを思い浮かべるが、西川医院の食事は違う。シェフ・管理栄養士がつくった本格的なフレンチやイタリアンのコース料理が提供される。メニューはその日によって変わるが、スープ、9種類のオードブル、サラダ、魚料理、メインの肉、そして5種類ほどもある特製のデザートと、高級レストラン並みの食事を楽しむことができる。
退院前には看護師、助産師、保育士、管理栄養士などが集まってお母さんの前でコーラスをする。みんな同じ気持ちで送り出したいという思いからだ。おなかの中で子育てをしてきたご苦労と、これから社会という大海原へ出て行くエールをこめて歌と詩の朗読をしている。
西川院長自らプロデュース・自主制作した5枚のCDをお母さんに実際に聴いて頂いて、気に入ったものをプレゼントしている。お母さんに伝えたいメッセージを音楽に込めている。慣れない授乳生活でくじけそうになったときや、赤ちゃんと穏やかな生活の中で聴いてもらいたいといったように、それぞれの曲に意味が込められている。
また、思い出づくりにも力を入れてきた。10年以上も前から「オギャーCD」というものをつくり、赤ちゃんの心音と誕生時の産声を収録し、CDの盤面には足形を印刷している。出産時の大変さ、そしてそれ以上の喜びや感動を何度も味わってもらいたいという思いからだ。
「上の子がいる場合は、生まれた赤ちゃんと2人の写真を撮り、ポスターにしてプレゼントしています。また、2代続けて当院で出産された方には、お母さんと娘の写真を合わせた写真をプレゼントします。出産は本当に大変ですから、『いい出産ができた』と思って帰っていただければ、子育てにとまどうようなことがあっても、子どもを産んだときを思い出すことで思わぬ力になると思うのです」
子どもたち向けに妊娠初期のデータや写真などをセットにし、『お子さんが20歳になったら渡してください』と伝えてもいる。
「それによって自分が親に何をしてもらったのかがわかるでしょうし、なにより子どもたちが生き生きと育ってくれたら、産科医師としてこんなうれしいことはありません」
そして2017年、西川院長は、お母さんや子どもたちに命が誕生するという感動を伝えたく、20年前から考えていたアイデアの実現に着手する。
人生には振り返りが必要なときがある
「90年代から業務用の3Dプリンターがあることは知っており、それを利用してお腹の中の赤ちゃんを形にできないかと思っていました。2012年頃にホームユースの3Dプリンターが登場し、本当に形にできるかもしれないと考えました。そうすれば、お母さんに感動していただけるのではないかと思ったのです」
西川医院で使用しているエコー装置のメーカーに相談すると、「丸紅情報システムズ(MSYS)なら協力してもらえるのではないか」と聞き、さっそくメーカーにMSYSへの連絡を依頼する。メーカーの紹介を受けたMSYSの担当者が西川医院を訪問し、具体化に向けた話し合いが行われた。
「私が思っていたのは、エコー画像の見た目通りにつくりたいということでした。これからこんな元気な赤ちゃんが生まれるという大きな夢を込めて、不安や恐怖もある出産直前の37週目くらいにお渡ししたいと思っていました」
エコー装置から3Dプリンターに必要なSTLデータを容易に出力できることがわかり、2017年10月、「3D胎児モデル造形サービス」がスタートする。 「最初に形になったモデルを見たときは感動しました。3種類の大きさを用意し、思い出になるように背面にはお母さんのメッセージが刻印できるようにしました」 スタートして早々に5件の申し込みがあった。
「赤ちゃんを見てかわいいと思う人が注文しています。傾向としては、ようやく人らしい形になってきた小さいときと、大きくなって表情が出るようになってきたころの2つに分かれます。いずれの場合もできたモデルを見ると、皆涙を流して喜んでくれます。なかには2つ注文された方もいました」
赤ちゃんが生まれると、当然のことながら3Dプリンターでつくった造形物よりも目の前の赤ちゃんのほうがかわいくなるという。
「また、子どもが大きくなったときに思い起こせるのもいいことだと思います。写真と違って色褪せませんし、そのまま形も残っていますから。人生にはときどき振り返りが必要なときがありますよね。そのときの手助けをつくっておいてあげることは、非常に意義のあることだと思っています」
3Dプリンターでつくられた胎児モデルには、西川院長からの手紙が添えられる。
「37週になります。よく頑張りましたね。分娩が間近にせまり、赤ちゃんにもうじき会えるという期待感や 喜びと陣痛が来て、大きな変動が自分と赤ちゃんに起こる恐れや不安が錯綜します。幸せな出産であるように私たちも一生懸命お守りします。さあ、私達と一緒にこれから元気な赤ちゃんにあいにゆきましょう。そんな祈りを込めて、メモリアルを渡したいと思います」
お母さんに常に寄り添い続ける西川医院。 今日も1人、また1人と、お母さんが西川医院を訪れている。