「若者の工学部離れ」が問題となって久しい。戦後の復興以来、ものづくりが経済成長を支えてきた日本において、これは憂慮すべき事態だ。現在、多くの工業系の教育機関では、人材確保に頭を悩ませている。そんな中、さまざまなアイデアで授業変革を実行し、積極的な教育を展開しているという1人の教授を訪ねた――
ものづくり大国ニッポンにおいて減り続ける若者の工学系人口
経済産業省、厚生労働省、文部科学省が共同で年次報告する「ものづくり白書」。この2009年版では、約20年前から大学の工学関連学部への志願者数は減少傾向にあると記されている。具体的な数字を紹介すると、2007年度は約53万人。これは1992年のピーク時に比べ、約4割の減少となる。若者のものづくりに対する関心が薄れ、「工学部離れ」が進んでいる。
ものづくり業界は教育機関を含め、人材の確保が課題となっている。しかし、問題はそれだけではない。より高度でオリジナリティ溢れる人材育成の強化も急務であるといわれているのだ。戦後の「欧米技術に追いつけ追い越せ」をスローガンとしていた時代から急速な発展を続け、現在では世界のトップ技術を誇るようになった日本。「ものづくり白書」の中でも、今後は「新しい技術の創出」がキーワードになると指摘しており、教育機関には、「学生の主体性と創造的な能力を伸ばす教育が望まれる」と記されている。
では、実際にどのようにすれば「ものづくり」の魅力を若者に伝えることができ、より深い専門知識を身につけたいと思わせることができるのか――
そのような問いかけに対して、次々とアイデアを生み出し実行している人物がいる。日本工業大学機械工学科で教鞭をとる長坂保美教授だ。
3次元CADなどのデザインデータを、自動的に立体造形するシステム。ABS樹脂を造形材として使用し、その特性を活かしてさまざまな機能テストにも対応します。コンパクトな筐体でオフィス環境でも利用できる60dB以下の静寂性を備え、デザイナーや設計者がネットワークプリンタを利用する感覚で、3次元モデルをデスクサイドでも出力できる3Dプリンターです。
ユーモアで惹きつけ成長過程を記録し学生に考えさせる環境を与える仕組み
「うちの研究室は365日24時間、電気が消えません。学生が何日も泊まりこんでいたりするのです。生徒に『お願いだからシャワーだけでも浴びて来てくれ』と、冗談混じりに叱ることもあります。ある時、学生が研究室にスイカを一玉持ち込んでいるところを学長に発見されて、『君のところの生徒は研究室でスイカ割りでもするのか!?』と怒られたこともあります。まったく私の学生は、元気すぎて困ります……」
長坂教授は自身の研究室に所属する学生のエピソードを、笑みを浮かべながら楽しそうに弾んだ声で話す。学生と直接話す様子もとても気さくな雰囲気だ。
長年、大手企業の社員としてCADに携わってきた経験を持つ長坂教授は、10年前に同大学に赴任してきて以来、主に3次元CADの操作や設計方法について学生を指導している。研究室のテーマもCADの有効活用や教育に関係するものが多い。
現在では、学生たちと教材ソフトの開発に取り組んでいる。3次元CAD設計の教材で、映し出されたモニターには教授に似た三頭身のキャラクターが登場して、設問の解答に応じて飛んだり跳ねたりする。ゲーム感覚で学生が勉強できる工夫と遊び心を取り入れている。
無味乾燥な文字と数字のみで問題を出しているだけでは、3次元CADの設計に対して「難しい」と感じている学生をひきつけられない。それどころか、ますます勉強から離れてしまう危険性がある。そこで長坂教授は、学生の先入観を和らげる効果が期待できる演出を問題の導入部分に施す工夫をしている。
このソフトで、学生がどこでつまずいているのかを突き止めることができるという。
「1つの問題は、さまざまな要素がピラミッド状に積み上がってできています。例えば、Aという設計の問題を解くには、いくつかの物理を理解していなければならないとします。すると、その中のある1つの物理はいくつかの数学から、同じようにその中のある1つの数学はいくつかの算数によって構築されているのです。それをデータ上で整理して、学生がつまずいた点をチェックし管理すれば、解答までの道をさかのぼることで、例えば、『この生徒は分数が分からない』ということが発見できるのです」
長坂教授は会社員から教師に転身する際に、教育とは何のためにあるのかをとことん考えて研究したという。そこで感じたのは、英語や数学を教えるためのソフトはあるが、人を育てるための教育ソフトはなかったという。
「このソフトには学生ごとのデータをストックするフォルダがあります。この機能を強化して、1年生から4年生までのソフトの利用履歴をすべて記録できるようにしたいと考えています。そうすれば、4年間の学習過程において、例えば、『君は微分方程式の分野が弱いから、よく勉強しておくと良いよ』と具体的にアドバイスができます。私は、4年間で学生がどのような成長を遂げたのかが、目に見えて分かるシステムを作りたいのです」
また、このソフトは同じ問題でもそれぞれの学生に異なる数値設定で出題できるという特徴を持つ。同じ数値設定の課題だと、優秀な学生の解答を写すだけで済んでしまう。これでは正当に評価されるべき学生は評価されず、写した学生の方も学力がつかないという問題が生じる。
「学生が自分で考えて答えを出せる力をつけなければ、大学自体の教育レベルも沈んでしまうのです。それを防ぐためにいろいろと考えた結果、学生ごとに数値設定が異なる問題を出題する方法を思いつきました。しかし、それでは解答をチェックする先生が大変です。そこで、先生の代わりに自動でチェックができるソフトを開発しようと決めたのです」
このソフトを軸とした学習の仕組みを構築することで、長坂教授は設計の楽しさと奥深さを学生に感じてもらいたいと考えている。
学校現場に適した3Dプリンターでものづくりを身近に感じさせる
日本工業大学の教育テーマは「実学」。そのためのさまざまな取り組みが行われている。ここ数年で大きく変化したのが、同大学の機械科棟の教育設備。特に圧倒されるのが、CAD/CAM/CAE演習室だ。生徒用の約70台ある机の上には、それぞれ2つのモニターを持つコンピュータが備えられている。生徒らは片方の画面で教師が出す問題や参考事例を確認しながら、もう一方の画面でCADソフトを操作し製図を行う。教壇にある教師用の机にも同じように2つのモニターとコンピュータがあり、画面の設定を切り替えることで、生徒の作業用モニターが映し出され、生徒1人ひとりの進行状態を確認できるようになっている。教室の後方には、6台の3Dプリンター「Dimension(ディメンジョン)」が置かれている。
この設備導入は、長坂教授が中心となって行われた。Dimensionを複数台設置したのは、「学生に、ものづくりをもっと身近に感じて欲しい」という思いからだった。
3次元CADで設計を行っている時に、近くに3Dプリンターが並んでいれば、「ボタン1つで、自分のデザインがすぐに具現化できる」ことを感じて、学生のモチベーションは高まる。
「他の3Dプリンターではなく、Dimensionを選んだのは、滅多に壊れないという印象が強かったからです。生徒は設備をいつも丁重に扱うとは限らず、学校現場では丈夫な機器であることも重要となります」
また、できあがる造形モデルがプラスチック樹脂でできている点も魅力だったという。長坂研究室では3次元CADによる竹とんぼの形状の設計を学生に研究させている。プロペラ部分の多重曲面をどのように設計すれば、飛行時間の長い竹とんぼを作れるのかを検証するのだ。学生たちは自らのデザインをDimensionで造形し、その造形モデルを実際に飛ばして実験を繰り返している。飛んで着地した竹とんぼは壊れることもない。
「自分でデザインしてできあがったモデルを使って実験ができるのは、ものづくりの楽しさを感じてもらう上で重要なことです。それに、目で形や大きさをチェックするだけではなく動きの確認もできるため、研究を進める上で有効な点が多いと感じています。確かに導入費用とランニング費用はかかります。しかし、工学関係学部への進学人口が減っている今、油を使わずに手も汚さないで簡単に物が作れるというインパクトは、教育的価値が大いにあると考えて6台もの導入を決めたのです」
これまでに例を見ない全国初のCADコンテスト
Dimensionを利用した取り組みは、授業や研究だけに止まらない。長坂教授は、3次元 CADを使った「プロダクトデザインコンテスト」を企画した。対象は高等学校や高等専門学校生で、優秀な作品は表彰し、Dimensionを使って実際に造形モデルを作成、受賞者にトロフィーとして授与するというものだ。エントリーの締め切りは2009年8月で、同年10月には結果が発表され授賞式が行われる。応募総数は200作品程度を見込んでいるという。
長坂教授は、高校生の教育に関するシンポジウムにおいて、「高校生はコンテストが好き」という傾向があることを聞いていた。以前からコンテストを教育に利用したいと考えており、何か良いテーマはないかと探していたという。そんな時に、レーシングドライバーの青木拓磨氏と出会った。障害者用のアクセルとブレーキ操作が手動でできるハンドルを作れないかと、自身も下半身不随である青木氏から相談を受け、「テーマはこれだ!」と感じ、コンテストの実現に向けて動いたのである。
コンテストは、高等学校や高等専門学校の生徒に、ものづくりの楽しさを知ってもらうという目的のもとにスタートした。運営の大部分を研究室の学生に任せ、細かいことはあまり指示せず、学生の自主性を重んじることにした。すると学生たちは責任感を持って、イキイキとして取り組むようになったという。
「学生が自ら考えて行動したくなる環境を整えれば、学生は自ら成長していってくれるものだとあらためて感じました」
また、今回のコンテストを企画して、多くの企業との連携が取れたという。このネットワークをもっと広げて活用することで、ものづくりの楽しさをたくさんの若者に知ってもらえる大きなプロジェクトを立ち上げたいと、長坂教授の夢は膨らんでいる。
学習ソフトの開発や3Dプリンターの導入、そしてコンテストの開催など、さまざまな角度からの視点で、学生に「ものづくり」の魅力を伝えるとともに、個人の能力を伸ばす仕組みを考える長坂教授。教育のあり方を考える1人の研究者としての、旺盛な探究心はますます高まっている。