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株式会社三菱地所設計様

“伝統を継承しつつ進化を続ける建築設計事務所”3Dツールを駆使し、創造的なデザイン提案

その建築群は、まさに日本を代表する建物ばかりだ。
横浜ランドマークタワー、広尾ガーデンヒルズ、GINZA KABUKIZA、大名古屋ビルヂング、パレスホテル東京──。
これらの建物すべてを設計したのが三菱地所設計。創業は1890年。伝統ある組織建築設計事務所だ。
今は日本だけでなく、海外の案件も多く手がけており、台湾では、台北市のランドマークである「台北101」に隣接する都心一等地に大規模複合施設が建築中。高さ272mのオフィスタワー、商業施設、文化施設の3棟からなる施設は、台北101と双をなす新たなランドマークとなることを目指している。このほかにも、中国、東南アジアなどにも数多くの案件を抱え、グローバルな設計事務所として海外からも認知され始めている。
日本を代表する建築設計事務所は、いかにして最先端を疾走しようとしているのか。

3度にわたる東京・丸の内の街づくりに携わる

東京駅丸の内南口。
高層ビルが立ち並ぶ中、1棟だけ明治時代に建てられたかのようなレンガ造りのレトロな3階建ての建物がある。それが「三菱一号館」。丸の内で最初のオフィスビルで、1894年に建てられ、1968年に一度解体されたものの2009年に復元された建物だ。この初代の建物の設計に英国人建築家ジョサイア・コンドルとともに携わったのが丸ノ内建築所。
その丸ノ内建築所をルーツとし、三菱地所から2001年に分社化してできたのが三菱地所設計だ。2代目の三菱一号館の復元設計はその三菱地所設計によってなされた。

三菱一号館の周辺にはJPタワー、明治安田生命ビル、丸の内パークビルディングが立ち並んでいるが、それらすべてが同社の設計によるものだ。
「当社は、建物単体というよりもエリアと建築の関係を重視している点が大きな特徴です。」(藤氏)明治時代、丸の内は三菱に払い下げられた経緯もあり、三菱によって赤レンガ造の近代的なオフィスビル街が形成された明治期、「丸ノ内総合改造計画」が進められた戦後の高度成長期、そして「丸の内再構築」計画によって賑わいのある街づくりが進められる現在。120年以上にわたって街づくりに携わってきた。長い歴史の中で積み上げられた経験は丸の内だけでなく、横浜みなとみらい21地区、仙台の泉パークタウン、大阪駅前のグランフロント大阪などの大規模な都市計画、再開発に活かされている。

「使う人がどんな気持ちや思いになるのかという、使う人の目線に立った設計ができるのが当社の強みだと思っています」(正木氏)
建物は人が使うものであり、人が気持ちいい、使いやすいと感じられる空間が大切であると考えてきた。目を引くデザインを追求するのではなく、少し先を考えながら、地震国日本で重視されている構造設計や長寿命建築では必須となるメンテナンスのしやすい設備設計などの技術を支えに、長く人に愛される建物をつくり続けている。

コンペでの受注率を高めたい

正木氏はIT関連システムの導入などを担当し、藤氏と川岸氏は設計を担当している。
建築設計一部は主に丸の内エリアの超高層ビルや、東南アジアの案件を担当。建築設計四部はコンペによって新規顧客を開拓しており、海外案件は主に中国や台湾を担当している。
「オフィスビルや複合開発はもちろんですが会社全体では教育施設、工場、商業施設、集合住宅、ホテルなど幅広く設計を行っています」(正木氏)
このような状況のため増えているのがコンペだ。

「私のいる建設設計四部は、コンペ案件を多く担当しています。案件によって違いますが、競合は2、3社のときもあれば、10~20社のときもあります。国際コンペになると100社近くにもなります。」(藤氏)
コンペでは、高いデザイン力や技術力はもとより、細部に拘る創造的なデザインを伝える提案力が重要となるが、これらを実現するために重要なツールが模型である。

模型室でも対応できないケースも

「模型というと『完成模型』を思い浮かべると思いますが、実は『こんな形はどうだろうか』というアイデア段階でつくるスタディ模型も数多くあるのです。大きいプロジェクトになると100個くらいの『スタディ模型』をつくることもあり、クオリティを上げるのに欠かせない作業になっています」(川岸氏)

藤氏が強調するのはイメージの共有だ。
「私のいる四部だけでも30名近くの社員がいますが、2Dの図面や3Dの画像だけではどうしても共通認識や思想にズレが出てしまいます。模型があることで皆が同じ認識をもてるようになり、設計の品質も大きく上がります。そしてもう1つ大事なものが、プレゼン時の模型です。時間がないときはCGパースだけでプレゼンをせざるを得ないこともあるのですが、それだけだとどうしてもインパクトが弱いのです。『模型』という実際に手にとれるものがあることで、明らかにプレゼンに説得力が出ます」

このため、同社では以前から「模型室」という模型専門の部屋とスタッフを用意し、スチレンボードや紙などを使って模型をつくっている。
ところが時代とともに、模型室だけでは対応できないケースが多くなってきている。
「設計の技術やツールが向上していて、曲面など複雑な形状を扱うことができるようになってきました。すると模型室でつくるのが大変な作業になり、あまり複雑になると頼んでもつくれないこともありました。自分でつくろうと思ってもその時間もない。そこで、複雑な形状のものは外注して3Dプリンターでつくるようにしました」(川岸氏)
ところが、すぐに壁にぶち当たることになる。

求めていたサポート材が水で溶ける3Dプリンター

3Dプリンター導入前にもスタディ模型を制作していたが、製作に高額な費用がかかるため、予算の少ないプロジェクトでは、気軽に作ることができなかった。 また、コンペに出す案はギリギリまで修正が入ることが多く、最終的な形が決まるのがプレゼン日の3日前というのもざらだった。ところが、外注して3Dプリンターで模型をつくるには、1週間前にデータを渡さなければ間に合わない。ギリギリまで修正したいのにそれができなかったのだ。

そんなときに丸紅情報システムズ(MSYS)からFDM(熱溶解積層法)方式の3Dプリンターの導入提案があった。その時はサポート材を溶かすアルカリ水溶液の取り扱いがオフィスビルでは難しいことなどから導入を見送った。
その後、社内要望のヒアリングにより、3Dプリンターを導入して設計の上流段階におけるモデル模型を効率的に造形することは、建築主との共通認識形成並びに問題点の早期発見に伴う設計品質の向上に役立つとの意見があがったため、滑らかな曲面や微細造形が可能なインクジェット方式の3Dプリンターを候補として導入検討を進めることになった。

「今回導入した『Objet Eden 260S』は、微細な形状や空洞のあるモデルを短時間で造形可能であり、サポート除去や産廃処理等の後工程に優れているため、当社には最適だと思いました。導入にはいくつかの障壁がありましたが、若い設計者が品質を追求する姿勢を当社の経営層は快く受け入れてくれたので、無事導入することができました。」(正木氏) 2017年5月のことだ。

デジタルツールを使いこなすことがスタンダードになる

「Edenの積層ピッチは0.016mmなので表面が非常にきれいに仕上がります。以前、外注で出していたものはピッチがそこまでなかったので、上司に見せても形ではなく表面の粗さばかり指摘されたのですが、今は純粋に形だけを見て評価してもらえるようになりました。また、プレゼン前でもギリギリまで修正できるようになり、クオリティは格段に上がっていると思います」(川岸氏)
藤氏は作業環境の変化によるメリットを指摘する。

「外注だと気軽に頼めませんでしたが、自社に導入したことで簡単にトライすることができるようになりました。また、複雑な形にすると模型がつくりにくいので躊躇している部分がありましたが、その制約から解き放たれたのは非常に大きいといえます。人にとって何が快適なのかを追求した設計が可能となりました」
インクジェット式のEdenは定期的なメンテナンスが必要で、当初はそれに戸惑ったという。3Dプリンター専任者を入れることも考えたが、まずは使った人がメンテナンスをするというルールにて、運用を開始した。少しずつ習熟者が増え、今では部署間で協力してスムーズに運営できるようになった。
川岸氏は力を込めてこう語る。

「海外に行って痛感するのは、海外の建築業界は日本よりはるかにデジタルツールを使いこなしていることです。日本でも設計者はもっとさまざまなデジタルツールを使いこなし、今までにない建築を追い求めていかないと置いていかれてしまいます。3D CADや3Dプリンターを使いこなして設計を進めていくことが、日本でもスタンダードになってくると思います。

長い歴史の中で街や人への想いを「伝統」として受け継いできた設計集団は、常に世界と未来を見つめている。

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