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斬新なアイデアでコンペに次々と勝利 “社会に貢献する建築”にも着手する、異能の建築家集団

コロンビア大学建築学科客員教授、慶應義塾大学環境情報学部教授、
ハーバード大学GSD客員教授、コーネル大学客員教授などを歴任し、
日本建築学会賞作品賞、フランス芸術文化勲章、
芸術選奨文部科学大臣賞など様々な受賞暦を持つ坂茂氏率いる坂茂建築設計。
東京、パリ、ニューヨークと世界の3か所にオフィスを構え、
日本、アジア、ヨーロッパ、アメリカなど世界中の建築プロジェクトで活躍している。
世界の人々がなぜ坂茂建築設計の建築物に引きつけられるのか。
スタッフのひとりに話を聞いた。

「中」と「外」が連続する空間

2003年。一世を風靡したCMがある。
シャープの液晶テレビのCM。女優・吉永小百合が登場し、広いリビングのような空間に置かれた1台のAQUOS。建物の開口部からは緑の木々が生い茂っているのが見えるが、よく見ると奇妙なことに気づく。開口部には柱らしい柱がなく壁もまったくない。見えるのは床と天井だけ。驚くような開放感が広がっているのだ。

カーテンウォールの家

画面の隅に目を凝らすとこう記してある。
「坂茂篇」──。

そう、この不思議な建物を設計したのが坂茂建築設計だ。アメリカに渡って建築を学んだ坂茂氏がつくった建築設計事務所である。

「うちの事務所の建築の特徴の1つに、坂が「ユニバーサル・フロア」と呼んでいる『中』と『外』をはっきりと分けずに連続させるというのがあります。CMに使われた『壁のない家』は斜面地に建っていますが、その地形にあわせ斜面に沿うようにめくり上げられた床に屋根を固定し、すべての水平力を床に流す構造とすることで、前面にある3本の柱は水平力を負担しないためにわずか55ミリの細さとなっています。左右と前には壁がまったくなく可動の引き戸のみとしているためとても開放的な空間が実現できています」

『カーテンウォールの家』と名づけられた住宅も「中」と「外」の境があいまいだ。外部にカーテン、その内側にガラスの引戸を設け、季節や場面に合わせて空間を閉じたり開けたりすることができる。

そしてもう1つ、「構造の探求」も坂茂建築設計の特徴だ。たとえば『家具の家』という作品。この建物を支えているのは幅90cm、高さ240cm、奥行き45cmないし70cmの家具ユニットである。

阪神大震災の際、倒れてきた家具で怪我をしたり、逆に家具の間にいたために助かった人もいた。「家具は想像以上に強いのではないか」という疑問から、家具を“構造材”として使ったのが『家具の家』だ。

そして近年、坂茂建築設計はある特徴をもった建築物を次々とつくるようになっている。「木組み」である。

2010年、フランスを代表する現代美術館「ポンピドー・センター」の巨大な分館がフランス北部のメス市に完成。157組ものコンペのなかから選ばれたのが坂茂建築設計+ジャン・デ・ギャスティンのグループの作品だった。この建物でもっとも目を 引くのが屋根。パリで見つけた中国の帽子からヒントを得たもので、曲がりくねった木組みの屋根は巨大な帽子のようですらある。

紙の建築

不思議な開放感、独自の構造、そして巨大な木組み。
これらに共通するのは既成概念にとらわれない「発想の大胆さ」だ。それは初期のころからすでに垣間見ることができる。最たるものが、建築物に「紙」を使うという発想だ。

坂茂建築設計の東京オフィス。この応接室に案内されるとちょっとした驚きがある。椅子が紙でできているのだ。正確にいうと「紙管」。サランラップの芯などに使われているものだ。座ってもびくともしない。

「紙というと弱いイメージがあると思いますが、紙管はとても強い素材なんです。牛乳パックに紙が使われていることからもわかるように防水加工も容易にでき、雨もしのぐことができます。紙管のいいところは、世界中どこにでもあり安価であること。坂は1980年代から紙管に注目し、さまざまなものをつくってきました」

はじめは展覧会やパビリオンなどで使っていたが、試験や研究を重ね建築資材としての認定をとると、“構造材”として紙管を用い「紙の家」という家までつくってしまう。坂茂氏はやがて「紙の建築家」として有名になり、大型物件も請けていくことになる。

次々と生み出される斬新な建物。アイデアの基本は「文脈を読むこと」にあるという。

「その土地や周囲の環境、建物の制約条件などは現場ごとに異なり、それぞれストーリーがあります。その文脈を読み切り、敷地の面白さをさらに引き出す方法や問題の意外な克服手段を見つけることができるような、施主が想像もしていなかったような提案をしようと心がけています」 

例として、坂茂氏が実際に設計した、銀座にあるスウォッチ・グループ・ジャパンの本社「ニコラス・G・ハイエック・センター」を挙げた。

「本社の要望は8つのブランドの店舗をつくりたいということでした。ところが銀座という土地柄、間口の狭い土地だったため、通常の方法では多くとも2店舗しか1階の正面に出すことができませんでした。そこで、8店舗すべてを1階で見られるようにするために、まず1階を裏通りへと通り抜けできる『通り』として開放して、その『通り』にキオスクのようなガラスのショールームを8つ並べ、それ自体をエレベーターにしてそれぞれの店舗にアクセスできる、というスタイルを提案しました。こうして施主もまったく気づかなかったことを提案したことで、コンペで1等となり受注することができたのだと思います」

先に紹介したフランスのポンピドー・センター分館も「文脈」から生まれたものだ。場所は駅裏の何もない広い土地で、メス市の中心部からもやや離れている。そこで、メス市のシンボルであるカテドラルと中央駅を眺められるピクチャー・ウィンドーをギャラリーの先端に設けたという。

施主もほかの建築家も気づかない、驚くような提案をしていく坂茂建築設計。その型破りな発想に世界中の人々が吸い寄せられている。

型破りな発想。それは、これまでまったく注目してこなかったある分野で活かされることになる。
18年前に遡る。

社会に貢献する建築

1994年。
ルワンダ民族紛争により、200万人以上の難民が発生。難民はシェルター用に周辺の森林を伐採せざるを得ず、深刻な環境破壊へと発展していた。
「歴史的にみて建築家はずっと特権階級のために仕事をしていました。政治家や資産家の財力や権力を視覚化するために建築家は存在し、その流れは今も大きく変わっていません。医師や弁護士には、マイノリティの人々を助けるために仕事をしている人もいます。建築家もできないだろうか。そうした疑問から、坂は社会貢献としての建築として、災害支援のプロジェクトを行うようになりました」

UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)本部に出向き木に代わる丈夫かつ安価なシェルターを提案。提案した素材は紙管だった。

それをきっかけに次々と被災地に出向くようになる。阪神大震災では教会や仮設住宅をつくり、トルコ、西インドでは仮設住宅、津波の被害を受けたスリランカの漁村では50軒の復興住宅を建設。中国四川省では仮設小学校、イタリアでは仮設音楽ホールをつくる。いずれも紙管を使ったものだ。

東日本大震災では避難所を巡った。避難所は雑魚寝が当たり前で女性は着替えるのもままならない。そこで、長さ約2mの紙管で柱と梁をつくり布をカーテンのように吊るす「簡易間仕切りシステム」を提案。カーテンを開ければ開放的に使え、コミュニケーションを図ることもできるというものだ。

宇都宮を皮切りに、新潟県、山形県、岩手県、宮城県、福島県などを巡り、設置箇所は49、設置したユニット数は1,872にも及んだ。

また、コンテナを重ねた仮設住宅も提案。2011年10月末、宮城県女川町に、189世帯、460人が入居できるちょっとした団地ができた。

簡易間仕切りシステムの建築資材は基本的に寄付金でまかなわれ、活動費はすべてボランティアだ。

引き継がれる坂氏の思想

国を代表するような現代美術館から、難民や避難所のためのシェルターや仮設住宅まで手がける坂茂建築設計。設計の現場は緊張の連続だ。

「坂は常にスケッチブックを持ち歩き、事務所、自宅、移動中の飛行機の中などで思いついたアイデアを描いていきます。我々スタッフはその意図を読み込んで図面に起こしていく。3D CADはあくまでも清書用です」

大胆な発想を具現化し、見る者に驚きや感動を与えるためには、デザインの微調整が欠かせない。5年前、東京オフィスでは建築業界ではまだ珍しい3Dプリンター『Dimension(ディメンジョン)』を導入する。

「垂直水平であれば、ある程度頭の中でイメージはできます。ところが『曲面』となると自分の頭の中で正確にイメージをするのは容易ではなく、イメージをほかのスタッフと共有するとなるとさらに難しい。イメージを出して修正し、スピーディに理想の形を追求していくために3Dプリンタが便利でした」

イメージの共有には模型が有効だ。しかし複雑な形状のものは自分で作るのが難しく、外注という方法もあるが制作に日数がかかりデザインの検討段階での利用にはあまり適さなかった。3Dプリンターを導入したことで模型の制作が容易に、また早く手に入るようになり、より深いデザインの検討が行えるようになったという。提案用の最終模型の製作にも活用しており、短期のコンペや提案間際での変更にも対応しやすくなったそうだ。

現在、東京オフィスでは2015年に完成予定の大分県立美術館(仮称)の設計が進められている。坂氏のスケッチでは天井は木組み。それも曲面。スタッフたちは3D CADで描いて3Dプリンターで一度造形。納得のいく形でなかったことから微調整・3Dプリンターによる造形を繰り返し求める形へとたどり着いた。
現在、東京オフィスには15人ほどのスタッフがいるが、みな同じような動機でここにやってきている。

坂茂建築設計 東京オフィス

「自分の考えを否定して欲しいと思っていました。自分の考えがすべて受け入れられるなら勉強にはならないからです。『この線はどんな意味や目的をもって引いたのか』と今もよく叱られています」

「建築家というのはいつも建築のことばかり考えている」という。
「ここはもっとああしたらどうだろうか、こんなアイデアはどうだろうかと、時間があれば考えています」

スタッフの多くは、いつか独り立ちしていくことになる。
坂氏から日々叩き込まれている“型破りな発想”。
彼らは将来、我々にどんな途方もない風景を見せてくれるのだろうか。

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