家庭用ゲーム機、業務用ゲーム機だけでなく、インターネット、スマートフォンなどゲームの世界は大きく広がっている。2012年4月、ゲーム開発者1,000人を擁するゲーム開発会社が誕生した。
ゲームビジネスが多様化する中、変化とスピードへの対応、コンテンツ開発力の向上を目的に、バンダイナムコゲームスからゲーム開発部門が分社化した。バンダイナムコスタジオはクリエイター集団だが、利益をあげるビジネスセンスが求められている。
ゲーム開発者はコスト意識を持ち、納期に追われることも無くなりつつある。徹夜の連続で会社に住みつくといった光景もいまは昔だ。ゲーム開発を支えるシステムサポート部門の視点を通じて開発現場の過去、現在、未来を探ると、ゲーム開発で大切なものが見えてきた。
ゲーム開発者を通じてお客様の存在を感じる
「私たちはサポート部門ですが、自身でゲームをつくらないからこそ、ゲーム開発者を通じてお客様とのつながりを感じることが大切だと思っています。開発者の先にお客様が見えているかどうかで、モチベーションは大きく変わってきます」。株式会社バンダイナムコスタジオ ET開発本部 未来開発部 システムサポート課 課長補佐 磯部剛氏はそう話すと、遠くを見据えた。
1991年に3Dを使った自動車レースの体感ゲームをつくりたくてナムコに入社した。すでに研究が始まっていたため夢はかなわなかったが、アメリカで業務用ゲームを開発し、帰国後はスキーゲームなどビデオゲームを数本つくった。
転機が訪れたのは1997年頃。ある開発用サーバが故障しリカバリーしなければならなくなった。磯部氏はLinuxでコンピュータをいじって遊ぶのが好きだったこともあり、社内にある未使用のPCにLinuxを入れてサーバをつくりリカバリーを行った。以後、社内の古いサーバを見ると妙に気になってしまい、次々と改善していった。こだわると止まらない職人気質。ネットワークまで手掛けるようになり、気がつくとシステム管理者としての役割の方が大きくなっていた。
1990年代、ナムコのゲーム開発者は自分たちで開発用のシステムをつくっていたが、会社の規模が大きくなるのに従い、専任の管理者が必要となり、システムサポート部門が組織化された。その立ち上げメンバーの1人が磯部氏だった。
会社の成長とともにシステム部門も大きくなっていったが、2005年、ナムコは新しい道を歩む決断を行った。ナムコとバンダイは経営統合し、翌年にはゲーム事業を展開するバンダイナムコゲームスがスタート。目指すのは、IP (Intellectual Property、知的財産)軸戦略を中心に「世界で最も期待されるエンターテインメント企業グループ」だ。バンダイが保有する豊富なIPとナムコのゲーム開発力を融合し、ゲーム専用機やネットワークゲームはもとより映像、音楽、イベント、プライズ(景品)、アミューズメント施設などさまざまなかたちでビジネスを広げていく。
経営統合により、システムサポート部門はバンダイナムコゲームスの情報システム部門と一体化することになった。「ICTを扱っているのだから一緒じゃないかと。しかし、営業などのビジネス活動を支えるシステムと、ゲーム開発を支えるシステムは全く違います。ゲームコンテンツをつくる現場を知らなければ、クオリティや効率を高める環境はつくれません」(磯部氏)
しばらく基幹システムのリプレースをしながら、ゲーム開発者のニーズに応えるという二足のわらじをはいて仕事をしていたが、状況が一変したのは2012年4月。バンダイナムコゲームスのゲーム開発部門が分社化され、ゲーム開発者1,000人を擁するバンダイナムコスタジオが誕生。システムサポート部門は再び開発者支援に専念できることになった。ゲーム開発にとってICTは道具だ。職人は道具へのこだわりも強い。要求も多いが、開発者のその先にいるお客様のことを思えば仕事に力が入る。
年間、大小さまざまな100件程のプロジェクトが動く
ゲームビジネスの成長を左右するのは、言うまでもなくコンテンツの力である。コンテンツをつくる人間によるイノベーションが、新しいゲームの世界を拓いていく。バンダイナムコスタジオの分社化は、ゲーム開発に特化した組織体制によりスキル開発や創造性が発揮しやすい環境づくりを目指したものだ。鉄拳、ソウルキャリバー、太鼓の達人、テイルズオブなど人気コンテンツに加え、新たなIP創出も行っていく。家庭用ゲーム、業務用ゲーム、ネットワークコンテンツなどゲームの多様化にスピーディに応えることも求められている。
分社化は責任の所在を明確にする狙いもあった。これからはゲーム開発で利益をあげなければ会社として成り立たない。ゲーム開発者の意識も変わってきた。「ゲーム開発者は細部にこだわる人が多く、完璧を追求するあまり、結果的にビジネスに悪影響を及ぼしてしまうことがあります。ゲーム開発におけるコスト管理は、オーバークオリティを判断する1つの基準となります」(磯部氏)
1年間で動いているプロジェクトは100件程。数人の開発者が数週間のサイクルでリリースを続ける携帯ゲームや、年間延べ人数で100人を超える開発者が携わる「鉄拳」といった人気タイトルなど、規模も目的もさまざまだ。
ゲーム開発はプログラムも映像も、つくりながら評価し改善していく。そのためプロジェクトの最初から最後まで仕事は続く。最近はリリース後も仕様の変更をインターネットを通じてダウンロードできることから、プログラマーの仕事の区切りをつけるのが難しい。しかし、昔のように徹夜続きで会社に住みつくといった光景を見かけることはなくなり、中間評価をしっかり行うことで納期に追われることも無くなりつつある。
時代とともにゲーム開発者の意識やワークスタイルが変わっても、ゲームが開発者のアイデアやイマジネーションから生まれてくるのに変わりはない。また、ゲームビジネスの競争はワールドワイドを舞台に熾烈を極めている。ビジネスの成否は、より魅力的なコンテンツをタイムリーに市場に提供することにかかっている。特に、テレビのアニメ番組と連動したキャラクターのゲームや、ネットワーク系のゲームはタイミング勝負の面が大きい。システム障害などで開発業務が止まってしまった場合の影響は計り知れない。
時間と闘うゲーム開発を支える止まらないストレージ
データというゲームの命を守るのが、コンピュータで処理した情報を記憶するストレージの役割だ。バンダイナムコスタジオでは、キャラクターのデザインからプログラミングのデータまで、すべてストレージを活用したファイルサーバで一元管理している。プロジェクト側に負担をかけない配慮と、データの保全性を高めるためだ。
ストレージは、10数年来、NetAppを利用し続けているという。当初はプロジェクト単位で利用していたが、全社規模に拡大していった。
2013年7月、NetApp社はストレージOSの新版「clustered Data ONTAP 8.2」を日本国内でリリース。システムサポート課はすぐに導入を決断した。背景には、ゲーム開発におけるデータ量の増大があった。
「ブルーレイなどのメディアに対応するためにデータ量が急増し、ボリューム※1 はテラバイト単位で必要となっています。当初、設定したボリュームの上限値にとどいてしまうプロジェクトもでてくるようになり、今後も増え続けるデータ量を考えると、柔軟に拡張できるストレージが必要でした」と、株式会社バンダイナムコスタジオ ET開発本部 未来開発部 システムサポート課 石田和之氏は話す。
「clustered Data ONTAP」は、テラバイトから数十ペタバイトまでシームレスに拡張が行えるため、開発者のニーズに迅速に応えることができる。ボリューム不足のときにやりくりを考える必要もない。ボリュームが不足しそうなときは、システムが判断し自動的に余裕のあるボリュームに切り替えてくれる。
時間と闘うゲーム開発にとって、止まらないストレージを実現できるというメリットも大きい。従来のOSはメンテナンスのときにファイルサーバを止めなければならずスケジュール調整が大変だったが、ストレージのコントローラ単位でクラスタリング※2 機能を搭載することで1つのコントローラが止まっても、もう1つのコントローラで業務を継続できる。
NetAppは当初より丸紅情報システムズから購入している。購入を続けている理由の1つは手厚いサポートにある。「今回、NetAppさんに入ってもらい、clustered Data ONTAPのワークショップを開きました。丸紅情報システムズさんのサポートも受けながら、みっちりとトレーニングを行い、これから本格的に運用するための準備を整えることができました」(石田氏)
新システムの本稼働は2013年9月。止まらないストレージシステムが1,000名のゲーム開発者の創造性を支えていく。
NetAppは当初より丸紅情報システムズから購入している。購入を続けている理由の1つは手厚いサポートにある。「今回、NetAppさんに入ってもらい、clustered Data ONTAPのワークショップを開きました。丸紅情報システムズさんのサポートも受けながら、みっちりとトレーニングを行い、これから本格的に運用するための準備を整えることができました」(石田氏)
新システムの本稼働は2013年9月。止まらないストレージシステムが1,000名のゲーム開発者の創造性を支えていく。
※1ボリューム : 外部記憶装置の管理単位
※2クラスタリング : 複数のコンピュータを1台のコンピュータであるかのように利用できる技術。1台に障害などが発生して停止してもシステム全体が止まることはない
グローバルで存在感のあるゲーム開発会社へ
2013年、磯部氏の姿は海外にあった。世界中からゲーム開発者や映像クリエイターが集まるシンガポールとバンクーバー。ゲーム開発の最先端に立つ2つの都市にバンダイナムコスタジオの開発拠点を設立した際、現地のシステムの立ち上げを監督したのだ。
グローバル市場での存在感を高めるためには、日本国内で開発するコンテンツだけではなく、海外各地域の文化やトレンドに根差したコンテンツが欠かせない。2つの海外開発拠点は、現地の行政機関や大学との産学連携による人材の育成や、地域の開発協力会社との連携を深める役割を担っていく。
海外で過ごすことでその国ならではの遊び方に気付くことがあるという。「シンガポールのゲームセンターに行った時、カラオケボックスのような部屋があったのですが、部屋の中で歌う人は誰もいません。数人の若者が大きなモニター画面でゲームをしていました。それも業務用のゲームではなく、家庭用のゲーム機を持参して遊んでいる。そういう習慣があることがわかると、違う切り口でゲームが考えられます」(磯部氏)
ゲームに国境はない。シンガポールでシナリオを書いて、バンクーバーで映像を製作し、日本でプログラムを書く。ワールドワイドでゲームをつくる日もそう遠くないだろう。ゲーム開発者もサポート部門も、世界中でゲームを遊ぶ人々の存在を感じながら挑戦し成長、進化していく。